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2026/9/15

101年後の挑戦者のために −清原織物の緞帳工場の継承−

琵琶湖を抱く湖国・滋賀県は、豊かな水環境と歴史に育まれた絹織物の名産地です。「清原織物」は、そんな滋賀でも唯一の、綴織(つづれおり)の老舗織元。伝統工芸を現代の空間づくりにつなぐKASASAGIは、これまでも彼らと協働してきました。そして今、約70年前から受け継ぐ緞帳(どんちょう)工場を次代へと継承する試みを共に進めています。今回はこの取り組みについてご紹介します。
清原織物11代目・清原聖司氏×KASASAGI代表・塚原龍雲 対談ムービー

「ものづくりへの情熱」が原動力

綴織は約4000年の歴史をもち、その起源は古代エジプトのコプト織にまで遡ると言われます。日本では京都を中心に西陣織の最古の技法として発展し、暮らしの晴れ舞台を彩ってきました。綴織の特徴は、土台となる経糸(たていと)を表に見せず、そこへ丁寧に緯糸(よこいと)を通すことで、丈夫さと美しい絵柄を両立させる点です。なかでも清原織物が手がける「爪掻本綴織(つめがきほんつづれおり)」は、職人が爪先をギザギザに研ぎ、これを駆使して精緻な柄を織る特別な技法です。

(左)綴織は京都祇園祭を彩る幕などにも用いられる。/(右)鋸のように研いだ爪で繊細に織る「爪掻本綴織」。画像提供:清原織物

KASASAGI代表の塚原龍雲が 清原聖司さん(清原織物11代目) と出会ったのは東京での工芸品展示会でのことでした。1873年創業の伝統と現代らしさを両立させた綴織の魅力に惹かれ、その後すぐ工房を訪問。そこでさらに、清原織物のものづくりへの情熱に心を動かされたと言います。

左から、清原聖司さん(清原織物11代目)、塚原龍雲(KASASAGI代表)

「当初のKASASAGIの事業は物販主体でした。清原さんは、まだ大きな取引はできない僕らが恐縮するくらい、訪ねるたびに地元でお酒をご馳走してくださり、いろいろお話ししましたね(笑)。その後、僕らは伝統工芸を現代的な空間づくりに生かす仕事を始め、滋賀県内の物流施設の内装アートを清原さんにお願いしました。これは綴織の技術で『心のなかの琵琶湖』を表現したアート作品としてのパネルをつくるプロジェクトになりました」(塚原)

琵琶湖に着想した幅3mの綴織アートパネル「山紫水明」。10本の糸を撚り合わせた緯糸で滑らかな色調と独特の質感を生み、絹ならではの光沢が空間を彩る。

幅3mというスケールに、絹で描く絵画のような美しい綴織。作品の魅力に加えて塚原の心を打ったのは、清原さんがこの1点を実現するために、お祖父様の遺した半世紀前の大型織機を復元・再生することから始めたという、ものづくりへの情熱でした。その真摯な姿勢から、協働相手と良い緊張感をもって仕事をする大切さも学んだと言います。

築70年の「家のような綴織」を再稼働

そんな清原さんの近年の大きな挑戦は、前述の織機よりさらに古くて大きい木製緞帳織機の復活でした。これも祖父・八代目岩次郎氏が約70年前に建造したもので、最大15m幅の生地が織れる巨大な織機に、そのまま屋根と壁を被せたような姿は迫力満点。電気もガスも使わず作業音も小さい、環境に優しい設計も特徴です。世界に一つだけのオリジナルで、長く休眠状態だったものを復活させました。

清原織物の緞帳工場。約70年前の大型織機が今も動いている。

この工場を所有者として維持してきたのは、清原さんの叔母の筈井弘子さんです。かつてご自身もここで緞帳づくりに携わった当時のことを、こう語ってくださいました。

緞帳工場の創建者・八代目岩次郎氏(写真右)は職人を大切にした。画像提供:清原織物

「よく覚えているのは、皆で東京の日本劇場の緞帳をつくったことです。京都から製作指導の方がいらして、何人も作業に加わって織り上げました。東海道新幹線が開業した時期で、完成した緞帳がかかる日劇を見に初めて東京を訪ねたのも良い思い出です。当時は父(岩次郎氏)が経営、母が職人、兄が会計という形で助け合っていました。帯の需要が減りゆく一方で、全国にホールができて緞帳のお仕事が急増した時代でした。父にとっても、この工場は大きな存在だったと思います」(筈井さん)

一方、清原さんはいったん建築の仕事に就いた後、2013年に実家の稼業を継ぐことを選びました。その際に強く惹かれたのが、この緞帳織機だったと言います。

「当時はほぼ稼働していませんでしたが、これを眠らせておくべきではないという衝動に駆られました。周囲は、いまあえて復活させる意味はあるの?という反応でしたが、絶対に動かしてやろうと整備を始め、知り合いにもこの試みを積極的に伝えていました。そうしたなか、2021年にユニクロさんがパリの新店舗に飾る大きなタペストリーを作ってほしいと連絡をくださって。これをきっかけに本格的な再稼働が実現しました」(清原さん)

パリのUNIQLO RIVOLIに展示されたテキスタイルアート《Brillances Urbaines(街の輝き)》。リサイクル技術や日仏間のコラボレーションも取り入れ、異なる地域や時代の架け橋にもなった。画像提供:Céline Thibault & Géraud Pellottiero; Hiyoshiya Craft Lab

101年後の挑戦者のために

しかし、復活を遂げたこの緞帳工場に再び危機が訪れます。2025年、清原さんから塚原にかかってきた電話は、この工場を閉鎖するかもしれないという辛い知らせ。ユニクロのプロジェクト後も地道に稼働してきた一方、事業全体のバランスから工場維持が難しくなっていたのです。

織機上部にある、職人が並んで糸を織る長い作業場

「何とか残したい、多少無理してでも続けたい思いも強かった一方、維持だけでも費用がかかり、事業や生活をめぐる現実的な課題があります。たとえ価値が高くても、いつ実を結ぶかわからない投資を今後も続けるべきなのか——。そうした葛藤の末に閉鎖を考え、塚原さんにもご報告をと思ったのがあの電話でした」(清原さん)

一方の塚原は清原さんからの電話を受け、その場である決断をします。それはKASASAGIがこの工場を購入し、引き続き清原さんたちに使ってもらう提案でした。

「そのとき僕は駅のホームで電車を待っていて、清原さんのお知らせを聞いて驚きました。でも、あの工場はもし壊されてしまえば再建は(技術的にも資金的にも)不可能なものだろうし、単に特別な技術で経済的価値を生み出せるということを超えて、存在するだけで価値がある場所だと強く思ったのです。それでとっさに『僕が買います!』と言ってしまいました」(塚原)

大布を織り上げる撚り糸の調整なども全て人力で賄う。

清原さんも、この塚原の申し出には驚いたと言います。

「既に閉鎖の方向で腹をくくって報告したので、訳がわかりませんでした(苦笑)。でも塚原さんが『あれがなくなったら日本の損失です。今動いていなくても、僕らの次やその次の世代が使うかもしれない。だから残さないと』と言ってくれたのを今も覚えています。そうした長期的な判断を瞬間的になさったのだと感じ、本当にありがたかった。たぶん、そこに経営的な合理性はないですよね(笑)。でも、これまでご一緒してきた信頼関係があったのと、塚原さんならそういう考え方をするかもな、と腑に落ちるところがあり、僕もその場で『お願いします』とお伝えしました」(清原さん)

取材時に製作していた沖縄の施設のための緞帳。裏面からも複雑さがうかがえる。

「何とかしたいと思ったのは、清原さんの思いの強さを知っていたことに加えて、僕らもこれまで清原さんのお祖父様に感謝する瞬間があったからです。先ほど話したアートパネルのために清原さんが復元した織機も、元はお祖父様が作ったものでした。解体されて50年間眠ってはいたとは言え、僕らの新しい挑戦が実現したのはあの織機が残っていたからこそです。この緞帳工場も仮に今後100年使われなかったとして、101年後に何かしたい人が現れるかもしれません。その意味でも僕らはお祖父様に受けた恩恵に感謝しつつ、誰かがこれを必要とする際に使える状況を保ちたかったのです」(塚原)

こうして話は進み、法的にはKASASAGIが工場の所有者となり、これを清原織物にお貸しする形となりました。塚原は、今後のことも清原さんたちと一緒に考え、将来的には、工場を清原さんたちにお返しできれば何よりだと考えています。

本当の「豊かさ」は生産の現場から

現在、清原織物の緞帳工場は引き続き各地からのオーダーに応えつつ、工房見学者を迎えることもあり、訪れる人々の心を打つ存在としても生かされています。塚原は前述のように、この工場は継承されていくだけでも価値があると考えていますが、「例えば大きな緞帳もつくれる機構を生かして、ホテルなどの大空間を彩る新しい織物をつくれるかもしれませんね」と語ります。清原さんもこれを受け、次のように話してくれました。

「例えば工房見学にいらした方々も、やはりこの緞帳工場を前にすると一番盛り上がります。ですから、ここを見ていただけることによる波及効果は大きいと感じます。とはいえ自分としては、飾りではなく稼働させたい気持ちも強い。緞帳はそう頻繁に受注できるものでもありませんが、例えば手織りラグを作るワークショップや、アーティストと一緒にこの織機ならではの作品を作ることなども考えていきたいです」(清原さん)

着物の帯や神社奉納品だけでなく、現代の暮らしに合わせた綴織のポーチや名刺入れも手がける清原織物。この工場も彼らの「伝統の継承と新たな挑戦」の舞台になっていくでしょう。工芸をめぐる環境が激変する昨今、10年前と今では売れる品物も全く異なります。そうしたなか、作り手も時代と共に変わっていくべきなのか。清原さんは「でもそれは、生き物の本質的な話でもありますよね」と言います。

下に敷いた設計図をもとに丁寧に絵柄を織り上げていく。

「生きる糧がなくなれば場所を移動したり、他に食べられるものを探したりするのが自然の生き物。自分たち職人もそれとどこか似ている気はしますし、きっと祖父もそうだったのでしょう。とはいえ自分たちだけで変わるのは難しい。そうした状況でKASASAGIは『こういうのってつくれますか?』と意外な問いをポンと投げてくれます。そこから僕らも変化して、ならこれもできるね、と枝が分かれ、さらに先へ伸びていく。KASASAGIはそういう『橋渡し』をしてくれて、良い関係性でいてくれます。今回のことでは貸主・借主という立場でもありますが、それでもフランクに、対等な目線でものづくりの話ができる。それは今までにない関係性だと思っています」(清原さん)

最後に塚原に、改めて今の思いを語ってもらいました。

「今回の取り組みに関して重要だと思うのは、消費者が何を求めているかも大切ですが、消費の背景には必ず『生産』があるということです。KASASAGIが何かを発想するときも、職人さん起点で物事を考えることは多くて、それは『生産する人たち』が笑顔で、豊かさを感じながらものづくりできる環境こそが、豊かな製品を生み出すと信じているからです。僕らも職人さんたちとそうした仕事がしたいし、結果それを受け取る人々にも、そう思っていただけるとありがたいです」

ものづくりへの情熱が織りなす、継承と創造の物語。これからも、清原織物の挑戦にぜひご注目ください。

清原さんが緞帳工場に吊るしたモビール。ここには座敷童がいるという話を聞いてから、それを感じとれたらとの思いもあり置くことにしたという。

取材・構成:内田伸一/スチール撮影:TAKASE OFFICE Inc./ムービー撮影:株式会社CIRCLE

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